2021-03-16 第204回国会 参議院 国土交通委員会 第2号
私、政権が替わって復興副大臣も拝命をしたときに、岩手県の三陸海岸を視察をしました、普代村と田野畑村。田野畑村には八メーターの防潮堤が造られていました。普代村の村長さん、隣が八メーターだけれども、貞観津波があった歴史も踏まえて、うちは十五・五メーター、倍の防潮堤を造ろうと、造り始めました。
私、政権が替わって復興副大臣も拝命をしたときに、岩手県の三陸海岸を視察をしました、普代村と田野畑村。田野畑村には八メーターの防潮堤が造られていました。普代村の村長さん、隣が八メーターだけれども、貞観津波があった歴史も踏まえて、うちは十五・五メーター、倍の防潮堤を造ろうと、造り始めました。
近年の気候変動の影響によりまして海水温の上昇が見られる中、私の地元三陸海岸でも、サンマやアキサケの漁獲量が大きく減っております。気候変動問題は、水産資源を持続的に利用するに当たり大きく影響を及ぼす課題と考えます。先週の本調査会においても、極域をめぐる我が国の取組、北極海の氷が解けることで資源が活用できるなどの議論がありました。
これよりも、最近読んだのが、「三陸海岸大津波」。吉村昭さんの代表作は「戦艦武蔵」なのかもしれませんが、彼は、明治二十九年の津波であったり、昭和八年の津波とか、そういったことを取り上げていて、やはり彼のところを見ると、江戸時代というか、江戸の直前から江戸にわたってもかなりの頻度で東北地方を襲った地震が明記されております。
そして、三日三晩かかってようやく三陸海岸に到達をしました。
盛岡の内陸部から三陸海岸に直轄道路を啓開しなければなりません。道路啓開というのは、もう一面災害廃棄物の海、どこが道路だったかわからない、その災害廃棄物をよっこして、そして、御遺体のところに赤い旗を立てて、自衛隊が三陸海岸に助けに行く、その道路空間を開いていく、これが道路啓開でございます。 誰がやるのか。
女川原発は、三陸海岸南端にある牡鹿半島の中ほどに位置して、印をつけてあります震源地、この震源地から約百二十三キロ、実は福島第一原発より震源地に近く、そして、右側に表をつけてありますけれども、地震加速度も福島が五百五十ガルに対し女川は五百六十七ガルと大きかったことがわかります。 地震発生の瞬間、女川原発一号機、三号機は運転中で、自動停止しました。
これは三陸海岸でも有数の拠点となっておりまして、これが現在閉鎖されておりますので、岩泉町の龍泉洞のみならず、岩手県全体に対する観光客の入り込み数に大きな影響を与えております。それはやはり、陸中海岸の中での大きなポイントが現在開いていないという、そういったことからでありますので、これらにつきましては、文化庁の皆さん方に御相談をしながら、現在、その開始に向けて進んでいるところでもあります。
特に、三陸海岸は暖流と寒流のいわゆる合流する地点ということで、日本有数のいわゆる漁業地帯でございますし、特に宮城県は石巻から気仙沼にかけてまさに水産加工のメッカであります。この水産加工の復旧復興もたくさんの問題を抱えているというふうに把握をさせていただきますし、私もいろんな相談も受けております。
やはり沿岸の首長さんたちも、三陸海岸は、リアス式海岸ということで観光資源の大きな目玉だということでありますので、観光に大きな影響を与えるんじゃないのかということを思っておるわけであります。 去る八月二日、東北観光復興加速化会議が仙台市で開催されまして、これは訪日外国人の関係なのでありますけれども、旅行客が拡大しておりますので、東北全体でも連携してしっかりと受け入れようということであります。
三陸海岸におきましては、明治三陸、昭和三陸、チリ地震など、三十年から四十年に一度程度の間隔で津波が発生しております。防潮堤につきましては、東日本大震災のような災害クラスではなく、このような比較的発生頻度の高い津波を対象に設計を行っております。
実際に、専門調査会の審議におきましても、例えば三陸海岸の場合、五十年から百五十年に一回の津波ということで、明治三陸地震や昭和三陸地震、あるいはチリ地震での津波といったものが対象になってくるという趣旨の議論がなされております。 各地域の施設整備の対象となります津波の具体的な高さにつきましては、海岸関係省庁の通知に基づきまして各地域で決定していくものであると承知をいたしております。
三陸海岸で建設されている防潮堤、何を防ぐためのものなのか、こうした論文を受けて、改めて政府の考えをお示しください。
総理は、きのうの所信表明で、六年後には、見事に復興をなし遂げた東北の町並みを背に、三陸海岸から仙台湾を通り、福島の浜通りへと、聖火ランナーが走る姿を、世界に向けて発信しようではありませんかと力んでおっしゃいました。しかし、総理のこうしたかけ声は、被災者の方々にとってどう映ったでしょうか。むなしく響いたのではないでしょうか。
六年後には、見事に復興をなし遂げた東北の町並みを背に、三陸海岸から仙台湾を通り、福島の浜通りへと、聖火ランナーが走る姿を、皆さん、世界に向けて発信しようではありませんか。 桃源郷のような別世界。 東洋文化の研究家であるアレックス・カーさんは、徳島の祖谷に広がる日本の原風景をこう表現しました。鳴門の渦潮など、風光明媚な徳島県では、ことしの前半、外国人宿泊者が、前の年から四割ふえています。
六年後には、見事に復興を成し遂げた東北の町並みを背に、三陸海岸から仙台湾を通り、福島の浜通りへと聖火ランナーが走る姿を、皆さん、世界に向けて発信しようではありませんか。 「桃源郷のような別世界」 東洋文化の研究家であるアレックス・カーさんは、徳島の祖谷に広がる日本の原風景をこう表現しました。鳴門の渦潮など、風光明媚な徳島県では、今年の前半、外国人宿泊者が前の年から四割増えています。
今回、東日本大震災で津波被害に遭った三陸海岸には、今から百年以上前の明治二十九年の明治三陸地震などの津波による被害を伝える石碑が約二百基あることは有名なことであります。その石碑が注目される理由は、碑文に記された、ここより下に家を建てるなという警告と、それを遵守してきた市民の皆さんの防災文化であります。
我々環境省では、防潮堤ではなくて、今回の東日本大震災直後の平成二十三年度より、河口湖にあります生物多様性センター、そちらで、津波や地震において破壊された三陸海岸、この地域における、東北地方から関東地方までの広い沿岸地域の自然環境に与えた影響の調査に着手をしております。藻場や干潟、海岸植生の変化状況などを継続的に今把握しているところでありまして、その調査研究を今後とも進めていきたいと思います。
遠野の方々が、今は北上、花巻まで松くい虫が来ている、遠野で食いとめなければ、岩手県の木であるナンブアカマツ、これは三陸海岸にずっと広がっているのでありますが、そこまでいってしまって大変なことになるというふうなお話がございました。 昨日、農水省の方々から、被害の実態とエリアの地図を見せられましたけれども、どうも私、毎週帰っているところを見ますと、もっと広がっている印象が実はございます。
そのほかのJR東日本の在来線の各路線についても、三陸海岸及び原発警戒区域等を除く区間については、復旧あるいは復旧に向けて着実に整備が図られております。 一方、JR大船渡線及び気仙沼線につきましては、仮復旧としてBRTが導入されました。
それから、東日本大震災というのはまさに東日本、この三陸海岸に幅広く震災が起きたわけであります。実はこれは、宮城県には女川原発がございます。それから、青森県は東通原発。そして、福島においても第二原発ありますね。それから、茨城県においては東海第二原発あります。いずれにしても、これらは今回、今回といいますか、過酷事故には至らなかったんですね。